【企業図鑑】Salesforce, Inc. (CRM)
「記録する場所」から「代行する主体」への構造転換
顧客データとAIエージェントの統合による新たなロックイン効果
この企業に注目する理由
── ソフトウェアが「道具」から「労働力」へ進化する分岐点にいる
Salesforceは長年、顧客情報を「記録するデータベース(System of Record)」として企業の中心に居座り続けてきました。しかし今、AIエージェント技術「Agentforce」の投入により、人間の代わりに業務を「実行する主体(System of Action)」へと役割を変えようとしています。
単なる効率化ツールであれば他社への乗り換えも容易ですが、企業の「業務プロセスそのもの」をAIエージェントが代行し始めると、そのスイッチングコストは極大化します。SaaSの巨人である同社が、AI時代においても「不可欠なインフラ」であり続けられるか、その構造的な転換点に注目が集まります。
🔬 第1章:どんな企業なのか(輪郭と事業構造)
── 顧客接点のすべてを統合する「Customer 360」プラットフォーム
Salesforceは、企業と顧客をつなぐあらゆる接点(営業、サービス、マーケティング、Eコマース、データ分析)をクラウド上で統合管理するサービスを提供しています。売上高の90%以上をサブスクリプション(継続課金)で稼ぎ出すビジネスモデルは、高い予測可能性と安定したキャッシュフローを生み出します。
2026年度第3四半期(2025年8-10月)において、売上高は前年同期比8%増の94億4000万ドルを記録しました。特に注目すべきは、AI活用の基盤となる「Data Cloud」や、特定業界向けのソリューションが成長を牽引している点です。また、従来の「人が使うソフトウェア」から「自律的に動くAI(Agentforce)」へのシフトを鮮明にしており、米国運輸省(USDOT)やノバルティスといった巨大組織での採用が進んでいます。
💡 第2章:なぜ特別なのか(競争優位の源泉)
汎用的なAIモデル(LLM)が登場する中で、なぜSalesforceが選ばれ続けるのか。その理由は「コンテキスト(文脈)」と「信頼」の独占にあります。
🔍 深掘り:Agentforceと「データグラビティ(データの重力)」
AIが役に立つためには、その企業固有の顧客データ(過去の購入履歴、対応ログ、契約条件など)が必要です。Salesforceには既にこのデータが蓄積されています。
- コンテキストの優位性:汎用AIは企業の内部事情を知りませんが、Salesforce上のAIエージェント(Agentforce)は、CRM内のデータを参照し、「この顧客にはどう対応すべきか」を正確に判断できます。
- 実行能力(Action):単に回答を作るだけでなく、システム内で「メールを送る」「見積もりを作る」「返金処理をする」といった実務を完結できるのは、業務アプリケーションと一体化しているSalesforceならではの強みです。
- ミッションクリティカルな採用事例:2025年12月、米国運輸省(USDOT)は、交通安全データの分析や助成金管理にAgentforceを採用しました。国家のインフラ管理に組み込まれることは、極めて高い信頼性とスイッチングコストの証左と言えます。
- ✅ Data Cloudによる統合:バラバラに存在する社内データを一箇所に集約し、AIが使える状態にする基盤(Data Cloud)が、他社ツールへの移行を物理的にも技術的にも困難にします。
- ✅ 業界特化型(Vertical)の深堀り:製薬大手ノバルティスが「Agentforce Life Sciences」を採用したように、汎用ツールでは対応できない業界特有の規制や商習慣に対応したAIを提供することで、参入障壁を高く保っています。
- ✅ エコシステムの厚み:数千の連携アプリ(AppExchange)やMuleSoftによるシステム連携により、企業のIT環境の「中枢神経」として機能しています。
⚙️ 第3章:課題と向き合い方(外部環境への対応)
AIによる自動化が進むことは、Salesforceにとって最大のチャンスであると同時に、「課金モデルの崩壊」というリスクも孕んでいます。
🤔 「シート課金」のジレンマ
従来、Salesforceは「利用ユーザー数(シート数)」に応じて課金してきました。しかし、AIエージェントが人間の仕事を代行するようになれば、企業が必要とする従業員数が減り、結果として契約シート数が減少する可能性があります(Seat Compression)。
- 収益モデルの転換リスク:AIによる効率化が売上減につながらないよう、ビジネスモデルを再構築する必要があります。
- AIコモディティ化の波:安価な汎用AIモデルが進化し、簡易的なCRM機能であれば代替可能になるリスクがあります。
これにどう向き合っているか(対応の設計):
Salesforceは、収益モデルを「人」ベースから「成果・消費」ベースへとシフトさせつつあります。Agentforceにおいては、エージェントとの対話回数や処理件数に応じた課金(consumption-based pricing)を導入し、AIが働けば働くほどSalesforceの収益も増える構造への転換を図っています。また、Data Cloudの利用量増加も新たな収益の柱として育成しています。
🌿 第4章:未来像(Agentic Enterpriseへの進化)
5年・10年先の視点において、Salesforceは「人間を支援するツール」から、「デジタル労働力を提供する基盤」への進化を目指しています。
“Agentic Enterprise”(エージェント主導型企業):
人間は戦略や例外対応に集中し、定型業務や複雑なデータ処理はAIエージェントが自律的に行う未来像です。ノバルティスの事例では、今後5年をかけてマーケティング、営業、患者サービスをAIエージェントで統合する計画が進んでおり、これが成功すれば、企業のオペレーション構造そのものがSalesforceなしでは成立しなくなります。
財務体質の強化:
成長率重視のフェーズから、利益率とキャッシュフロー重視のフェーズへと移行しています。2026年度Q3の非GAAP営業利益率は33.1%に達しており、自社株買いや配当を通じて株主還元を強化する「成熟したテクノロジー企業」としての側面も強めています。
まとめ:この企業を一言で言うなら
顧客データを燃料に、AIエージェントという「デジタル労働力」を
企業の深部に派遣する、現代のビジネスOS。
単なるツールではなく「同僚」としてのAIを提供することで、
物理的なスイッチングコスト以上の「業務依存度」を生み出そうとしています。
企業価値を「構造」から考える
どの市場に組み込まれ、どの制度・ネットワークに支えられているか という構造が、 長期的な価値を左右します。
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